2017年2月12日日曜日

ガチKGBの黙示録4 続・出エジプトって何なんなん?

さて、前回の続き。
エクソダスはエジプトからの脱出を書いていると思ったら
実はエジプトじゃなかった説の検証。

エクソダス1章1節の「エジプト」と訳された部分を
原典=ヘブライ語対訳版で確認すると(リンク
מצרים
という単語が使われている。ミツライム。
これはオンライン辞書で確認するとegyptと出る。
しかしこれは辞書も巻き込んで聖書が間違っている。
要は誤訳。しかも意図的な誤訳。捏造。詐欺。
詳細は以下で検証する。ついでにナイル川も誤訳。
モーセがナイル川に流された云々と聖書には書いてあるが
原典を確認すると単に「川」としか書いていない。

この点でも日本語版聖書の劣化が目立つ。
日本語でナイルと訳されている箇所でも外国語版では
単に「川」としか書かれていないケースはある。

例えば出エジプト記2章3節。
モーセが捨てられた場所の描写という重要場面だ。
日本語版は口語訳も新共同訳もそろって「ナイル」
しかし、ここはABSでもKJVでもriverでしかない。
la bible de jerusalemではfleuve これもただの川
biblia sacra vulgataではfluminis
fluminisはgoogle翻訳ではNileと出るが
辞書によっては単に川としか出ない(リンク
私の持っている辞書でもナイルとは書いていない。
the new college latin and english dictionary by john traupman
更には元祖旧約聖書、ヘブライ語版でもここは「川」
ナイルではない。(参考リンク

更に問題をこじらせるのが、そもそも「ナイル」とは
「川」という意味の単語だという問題。
だからABSで別の箇所に"Nile"が出てきても
「だからエジプトだ」と決めつける訳にはいかない。

常識で考えれば「川なんだから川と呼ぶ」という
単純極まりない話だ。
「ナイルなのか?もしくは、川なのか?」というのは
「川なのか?もしくは、川なのか?」と言っているのに近い。

例えばガンジス川。
「ガンジス」とはサンスクリット語で「川」という意味。
もしくはインダス川の「インダス」、
メナム川の「メナム」、メコン川の「メコン」、
アムール川の「アムール」。
全部単語のもともとの意味は「川」でしかない。(参考
当ブログの過去記事、日ユ同祖論フルボッコシリーズの10でも
「山城」=「やましろ」の語源は「山の後ろ」だと書いた。
答えがわかれば実に単純。
地名なんて半分以上はそんなものではないか?

例えば岐阜県には揖斐川がある。
「イビ」はアイヌ語起源で意味は「大きな川」
答えがわかれば実に単純。

兵庫県姫路市の地名に広畑がある。
これは「広い畑」だから「広畑」
・・・と思ったら実は違うようだ(笑
1941年に飾磨郡村と同郡八村が合併し、
飾磨郡広畑町ができたのが「広畑」の元らしい(笑
しかし姫路城の外堀の外が広い畑だったのは本当だ。

かつては姫路城は三重の堀に囲まれていた。
現在のJR姫路駅〜JR播但線あたりのラインが外堀
現在の国道2号線(東行き)のラインが中堀
現在も残っている堀は内堀との事だ

内堀よりも中(コンニチにおける姫路城と言ってもいい)は
現代風に言えば東京都千代田区的なエリア
殿様の屋敷その他特別区域だった

中堀〜内堀エリアは武家屋敷中心
外堀〜中堀エリアは一般民衆の家屋中心だったらしい。
では、外堀の外は?と言うと基本的には田畑だったらしい。
現在も姫路駅南口(=外堀の南=外堀の外)の地名に
「南畝」があるのは、この田畑を指すと思われる。

参考リンク→「名字由来net」
(名字の能年の)発祥地は播磨国(現・兵庫南西部)飾東郡南畝村とされる。
現在は兵庫県姫路市南畝町として存在している。
元々は長畝(のうね)と読まれていた(中略)
長畝の語源は長く険しい小道とされる説や長くのびた田んぼの畝(うね)という説もある

余談。私はバテレン官兵衛の調査の一環で姫路市にガサ入れをした。
姫路市は不思議な町だ。バテレン官兵衛、不正選挙のグローリー、
満州の土建屋出身の市長、原発メーカーの山陽特殊製鋼、
イオン(ミンス岡田のあのイオンの原点は姫路)
姫路城の修理を請け負う鹿島。鹿島と言えばフクイチ。
姫路城の修理に使った鉄骨はフクイチに回されたと言う。
姫路市広畑区には新日本製鐵がある。新日本製鐵は住友金属と合併した。
また、新日本製鐵は神戸製鋼と資本・業務提携。
神戸製鋼と言えば安倍晋三。安倍晋三がリーマンをしてた時の勤務先は加古川
加古川と言えば姫路の隣り。その他ツッコミどころが多い。
例えば政令指定都市でもないのに「区」が存在する謎。
歴史的に見てもツッコミ所がいくつかある。
室町幕府6代将軍・足利義教を殺した赤松満祐(嘉吉の乱)は播磨(=姫路)の守護大名。
版籍奉還を言い出したのは実は姫路藩の酒井忠邦
(薩長よりも先に言い出している。グダグダになって話が頓挫していた所を
後から言い出した薩長土肥に手柄(?)をかっさらわれただけ)
この酒井氏含めて歴代姫路城主は徳川四天王が務めた。
(本多、酒井、榊原。但し井伊は除く)
また、徳川四天王以外でも徳川家の縁者が務めている。
例えば徳川家康の次女(=督姫)と結婚した「西国将軍」こと池田輝政
もしくは徳川家康の次男(=結城秀康)の五男である結城直基
もっと歴史を遡れば、大部分が失われている風土記で、なぜか播磨国風土記は現存する謎。
もちろんご近所の山口組を忘れてはいけない

一方、聖書の中には「エジプトの川」という表現も出てくる。
一般にはこれはナイル川を指すと解釈される。
しかし先程から書いている通り
מצרים
この(↑)単語=ミツライムがエジプトなのか?
という所がまず問題。
「ミツライムの川」が「エジプトの川」でよかったのなら
それが「ナイル川」だった可能性も一気に高まる。

勿論、ヘブライ語は子音しか書かないのが基本。
ggrksが「ぐぐれカス」なのか「ぐぐれクソ」なのか
わからないというクソ仕様込みでの話だが(笑

(今思ったけど昔は紙もペンも無いから
文字数をケチりたくて、子音だけを書くようにしたのか?
例えば石版に文字を彫るのは面倒。
長文が書けるような石版は大きくて重くて困る。
パピルスや羊皮紙は軽いだろうが高価だ。
だから文字数をケチりたかったのか?
全ての古代語が子音のみの表記とは限らない時点で
この仮説も胡散臭いんだがww)

さて、本来、ミツライムとはミスルの双数形だ。
元々の意味は「2つの都市」
これがエジプトを指すと主張される根拠は
古代エジプトで上エジプトと下エジプトの2つが
統一されたという歴史に基づく。
だから「2つの都市」とはエジプトだという事にされている。

たったそれだけの根拠?と疑問に思わないだろうか?
そんな理由でエジプト認定されていたら
世界中がエジプトまみれになりそうだ。
しかも上エジプトと下エジプトの統一は紀元前32世紀の話。
聖書の歴史の中で「ミツライム」=エジプト
という解釈が採用されたのはセプチュアギンタの時代。
つまり紀元前2世紀か3世紀。
それまではミツライム、ミツライム言ってる割には
誰もそれがどこなのかとか考えていなかったようだ。
ギリシア語に翻訳しようとした段階でハタと
「ていうか、ミツライムって何?」と問題になったらしい。

と、いうかそもそもユダヤ人もユダヤ教も本来存在しない。
信者も経典も後出しなんだから
問題だけが先行して存在するはずがない。

万が一、ユダヤが実在していたとしても
3000年も前の話がいきなり急浮上してくるのは不自然ではないか?
エジプトの歴史は古い。古いだけではなく大国だ。
天下無敵のエジプト様を知らないとかどこのモグリだ?
エジプトを意味する単語ぐらいちゃんとあるはず。
それなのに「3000年前のコレがあるから
ミツライムはきっとエジプトやで・・・。」
くさい。なぜいきなり3000年前の話を始める?
出エジプトは3000年前でも何でもないのに?
いきなり3000年もすっ飛ばすのはイルミちゃんお得意の
「大昔なら証拠も無くなってるから言ったもん勝ち」の
パターンではないのか?

しかもエジプト自身の歴史資料や周辺国の歴史資料を見ても
どれもこれもエジプトの事をミツライムとは呼んでいない。
例えばアイギュプトス(ギリシア)、アルギプト(アラブ)
勿論これは現代の「エジプト」と似ている。
少なくとも「ミツライム」よりは似ている。

そして、ポツンとひとつだけ、聖書だけが
「ミツライム」と言っている。
しかもその根拠がなぜか3000年前。
いやいや、キミタチ、そんな大昔に遡らなくても
10年前や100年前の歴史を忘れちゃったのかな?
え?何何?過去の経歴は隠蔽しろと
怖いお兄さんに小銭握らされて睨まれた?

デスノートの夜神のトリックを見破ったエルも言ったはずだ。
(第7巻より)
「これだけ」がひっかかるのなら「これ」がウソじゃないのか?
と疑うのは当然。
確定、断定は無理でも疑いの目で見るのは当然だ。

いや、歴史資料と言えば古代エジプトには
「ユダヤ人」の記録が無い。
パピルスだの石碑だのいくら読んでも「ユダヤ人」は出てこない。
出エジプトという事件の記録が無いだけではない。
ユダヤ人の存在そのものが皆無。
400年も住んでたはずなのに皆無。
独自の言語を守り抜いたのだから
エジプト人に溶け込んでいたわけでもなかろうに。
それなのに記録は皆無。
民数記1章46節には出エジプトした人数が出てくる。
そこには六十万三千五百五十人という
具体的な数字が出てくるのに皆無。
(似た数字はエクソダスの38章26節にも出てくる)
女子供カウントしたら200万人はいただろうに皆無。
ちなみに200万人が5列変態、いや、編隊を作ったとする。
すると40万人x5
40万人が1メートル間隔で並んだとする。
前へならえよりは少し距離を開けた程度だ。
手ぶらで散歩に行くわけじゃないから
この程度の距離は物理的に必須。すると縦は400キロ。
・・・サーセン、ぐーぐるまっぷで見ても
シナイ半島は400キロねえんスけど?
画面右下に200キロが示してある。
天下無敵のぐーぐる様の見解だ。
で、シナイ半島に赤い縦棒が引いてある。
これが私が引いた400キロの直線。
文句のあるやつは定規もってこい。

・・・どう見てもシナイ半島はみ出すんスけどw
脱出できねえっスww

紀元前(プトレマイオス朝)のエジプトの総人口は
700万人前後と推測される。(参考リンク
出エジプトの年代が特定できない以上、
プトレマイオス朝の人口と、出エジプト当時の人口で
どの程度の差があったのかは不明。
しかし少々誤差があったとしても
プトレマイオス朝の時期の人口から比べて
プラスマイナス50%程度ではないのか?と考えても
それほど大ハズレではなかろう。
すると総人口は400万から1000万の間か?と考えられる。
という事は200万人も大脱走すれば
人口の2割〜最悪5割が脱出した計算になる。

現代日本に喩えるなら東京都(1300万)と神奈川(900万)の
全人口が日本を大脱出するぐらいのインパクト。大事件だ。

ヘタこいたら東京、神奈川に加えて
千葉(600万)、埼玉(700万)、静岡(370万)
群馬(200万)、栃木(200万)、茨城(300万)、
長野(200万)、新潟(230万)、福島(200万)、
岩手(130万)、秋田(100万)、青森(130万)
北海道(540万)の全人口(6100万)がゴッソリ
大脱出するぐらいのインパクト。
新聞でも号外間違い無しの大事件だろう?

それなのに記録は皆無。ゼロ。無し。ねえ、どゆこと?

(存在しない民族の記録なんぞ、ある訳ねえよ 笑)

国中の赤ん坊が死んだりして大騒動になった
(出エジプト12章30節)はずなのに
被害者のエジプト君の日記帳には何も書いていないのはなぜか?

答え→起きてもねえ事件を日記帳に書くバカはいない

聖書を弁護できる資料は聖書だけ。
くさい。例のパターンだ。
ユダヤ人の定義とはユダヤ人の子供、という珍理論。
それと同じだ。
「聖書は正しいのか?」を調べたら
「もし聖書が正しいと仮定するなら、聖書は正しい」
という珍回答が返ってくる。
この味は!嘘をついてる味だぜ・・・!

聖書以外の資料は調べれば調べる程、
聖書に不都合な証拠が出てくる。
聖書のうさんくささは多数ある。例えば年代が不明。
出エジプトは紀元前何年の出来事なのか?
少なくともエジプトの歴史資料にはそういうものが何も無い。
国中で大騒動になったはずなのに一切記録無し。
出エジプトは聖書の記述が本当だったと仮定するなら
紀元前1440年?の出来事だ。
(紀元前14世紀のアマルナ革命に近いという点には要注意)

イスラエルの人々がエジプトの地を出て後四百八十年、
ソロモンがイスラエルの王となって第四年のジフの月
すなわち二月に、ソロモンは主のために宮を建てることを始めた。
(列王紀上6章1節)と聖書に書いてある。
だからソロモンの神殿の建築開始の年から逆算して
紀元前1440年が出るエジプトの年だと言われる。
もちろん、ソロモン神殿なんて本当にあったのか?という
疑問込みでの話だ(ダメじゃんw)

また、これか。結局「聖書は正しいのか?」を調べたいのに
聖書を弁護する資料は聖書内にしか無い。
「もし聖書が正しいとするなら、聖書は正しい」という珍回答。
ソロモン神殿?んなものあるわけねえよ。
ユダヤ教徒が嘆きの壁でウンタラってありゃバアル神殿だ(笑

逆にエジプト側の資料なら問題の紀元前1440年前後含めて
多く保管されている。
たとえばアマルナ革命とか(笑
もしくはアマルナ革命とか(笑
あるいはアマルナ革命とか(笑
おそらくアマルナ革命とか(笑

いや、聖書はエジプトについて書いている割には
ピラミッド、スフィンクス、オベリスク、ナイル川
何ひとつ出てこない。
王様が出てきたと思ったらパロ(口語訳)・ファラオ(新共同訳)
これもただのギリシア語だろ?
要はプトレマイオス朝でセプチュアギンタを書いたんだろ?
翻訳じゃなくて創作したんだろ?という疑惑に戻る。
ゼロから創作したとまでは言わない。
ショボいレベルで「何か」はあっただろう。
元ネタ本的な何かが。
ただし、バアル教の経典だけどな!! しかもパクリ本w

聖書の記述を信じるならユダヤ人は400年ほど
エジプトにいたらしい。
400年もいたが、言語も独自のヘブライ語を守り抜いたらしい。
ミンジョクの文化に誇りを持っているニダと思っていたら
実はバビロン捕囚の時はたった60年で
ヘブライ語を忘れる大惨事発生w アラム語しか話せなくなった。
お前らバビロンでくつろぎすぎだ。
この温度差は一体何なのか?

こたえ→ディアスポラなんてウソ。
ただのノマド。というかホームレス。
テメーの都合でフラフラしてたくせに
我々は祖国を追われた可哀想な民族ニダ!と謎の涙目。
ドサクサで経歴詐称や背乗りの途中参加組も混じって大混乱。
民族的には完全にゴチャマゼだが
それすらも祖国を追われた悲惨な歴史の結果混血ガーと
涙涙の抗議ネタに使うあつかましさ

強制連行されて来日したんじゃなくて
ただの密入国の分際でチョッパリガー、ウリヌンガー
謝罪ガー、賠償ガーとか言ってる連中と似たようなもの

で?なんでこんな連中が華麗に登場した?
なぜセプチュアギンタだ?なぜエジプトだ?
もし、セプチュアギンタが翻訳ではなかったとしたら?
セプチュアギンタが創作されていたら?
元祖旧約聖書はギリシア語という事になる。
そして新約聖書はギリシア語なのも確定済み。
なぜギリシアだ?場所がエジプトである理由は?

まだまだ闇は続く。
俺達の戦いはこれからだ(キリッ

最後はお約束の一言をオナシャス(キリッ
黒幕はキリスト教徒!

ガチKGBの黙示録3 出エジプトって何なんなん?

今回の記事には元ネタがある。
ある人が私に「腹筋崩壊ニュース」というサイトの
興味深い記事を紹介してくれた。

出エジプト記(エジプトとは言っていない)→リンク
旧約聖書とエジプトの無関係具合→リンク

この2つの記事がなかなか面白かった。
そこで一部、記事内容をパクリつつ
ガチKGBならではの考察・検証も交えて
改めてユダヤ教、キリスト教の謎を考察する。

まずは、「出エジプト記」とは本当に「出エジプト記」なのか?
という根本を問い直す所から始めてみたい。

日本語訳の聖書では「出エジプト記」と呼んでいるアレ。
英語・ドイツ語ではexodus フランス語ではl'exode
「エジプト」なんてひと言も出てこない件。
元々英単語としてexodusとは「脱出」程度の意味だ。
どこから?なんて誰も書いていないのに
勝手にエジプトから、と決めつけるのはマズイのでは?
という問題提起をしてみたい。

例えばLDOCE→リンク
ex‧o‧dus /ˈeksədəs/ noun [singular]  
a situation in which a lot of people leave a particular place
at the same time

或いはmerriam-webster→リンク
the mainly narrative second book of canonical
Jewish and Christian Scripture 
a mass departure :  emigration

やはり単語本来の意味としては「エジプトから」
というニュアンスは無い。

このmerriam-websterには面白いコラムがある。

The Biblical book of Exodus describes
the departure of the Israelites from Egypt,
so it's no surprise that the word has come to refer more generally
to any mass departure.
The word itself was adopted into English (via Latin) from Greek 
Exodos, which literally means "the road out."
The Greek word was formed by combining the prefix ex-
and hodos, meaning "road" or "way."

なるほど。exodusの語源を辿るとラテン語。
更にその語源はギリシア語との事だ。
ギリシア語の意味としてはエクソダスとは「外への道」。
べつに「エジプトから外へ脱出する道」ではない。
単に「外への道」。
ひょっとしたら「出口」的なニュアンスなのだろうか?
とりあえず「どこから?」というのは不明のままだ。

当ブログでも何回も書いているが
旧約聖書は元々ヘブライ語で書かれた。
שמות
そして、これ(↑)がヘブライ語での「出エジプト記」
シェモットと読む。参考:対訳版
直接的な意味は"names"(オンライン辞書

"names"という変な名前の由来はエクソダスの冒頭にある。
1章1節の単語の2番めがシェモットだ。
参考:私が持っているBHSでは題名が
シェモット「だけ」ではない。
ואלה
これ(↑)も付属している。
しかし各ページのヘッダーではシェモット「だけ」
目次ページでもシェモット「だけ」
この違いは何なんだろう?と調べてみると
どうもヘブライ語でexodusを何と呼ぶのかは
完全に統一されている訳ではないようだ。
ぐぐってみると他に
「セフェル・イェツィアット・ミツライム(出エジプトの書)」
「セフェル・ハゲウラー(贖いの書)」という名前でも
呼ばれると主張するブログもある。(リンク

とりあえず冒頭のシェモットが一番よく使われる名前のようだ。
オンラインの対訳ヘブライ語聖書を見ても
シェモットとのみ書かれている事がある(

冒頭部分の単語が書物全体を示す名前になる
というのは創世記と同じだ。
創世記はヘブライ語ではべレシートと呼ぶ。
この名前は第1章第1節のベレシート バラー エロヒーム...
に由来する。

という事でヘブライ語版でもやはり
「出エジプトは出エジプトにあらず」という結論になった。

勿論、キリスト教徒ならこういう見解には大反対するだろう。
単にタイトルが違ったとしても本文中でエジプト、エジプトと
連呼しているのだから
「エジプトからの」脱出なのは間違いない云々。

例えば先程も話題になったエクソダスの1章1節は
日本語版では下記の通り。(口語訳)

さて、ヤコブと共に、おのおのその家族を伴って、
エジプトへ行ったイスラエルの子らの名は次のとおりである。
ほらほら。やっぱりエジプトでしょ?
とお喜びの所ですが、非常に残念なお知らせがございます。
「エジプト」と書いてあるのは誤訳です。
しかも意図的な誤訳。要は詐欺。
なぜそんな主張がまかり通るのか?
それはCMのあとで! いや、間違えた。次回記事で!

では、お約束のひと言をオナシャス。
黒幕はキリスト教徒!