2016年7月29日金曜日

knznymmmyのラテン語ペラペラプロジェクト10

では実践編第6弾。今日も旧約聖書から。創世記3-3
biblia sacra vulgata
de fructu vero ligni quod est in medio paradisi
praecepit nobis deus ne comedemus
et ne tangeremus illud, ne forte moriamur


(口語訳)
ただ園の中央にある木の実については、

これを取って食べるな、これに触れるな、
死んではいけないからと、神は言われました。

(新共同訳)
でも、園の中央に生えている木の果実だけは、

食べてはいけない、触れてもいけない、
死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。
 

(ABS)
but god said, 'you shall not eat of the fruit of the tree
which is in the midst of the garden,
neither shall you touch it, lest you die.'"

 
(KJV)
but of the fruit of the tree
which is in the midst of the garden,
god hath said, ye shall not eat of it,
neither shall ye touch it, lest ye die.

 
(エルサレム聖書)
mais du fruit de l'arbre qui est au milieu du jardin,
dieu a dit: vous n'en mangerez pas,
vous n'y toucherez pas, sous peine de mort.»

 
(BHS)
ומפרי העץ אשר בתוך הגן אמר אלהים לא תאכלו ממנו ולא תגעו בו פן תמתון


BHSは例のようにここ参照。
とりあえずは文法的な解釈から。
de〜より
fructu果実名 男 奪 単
veroしかし副詞
ligni樹木の名 中 属 単
quod関 中 主 単
est(be動詞)動 現 3単
in〜に
medio中央名 中 奪 単
paradisi楽園の名 男 属 単
praecepit命じた動 完 3単
nobis我々に代 1複 与
deus神は名 男 主 単
ne(否定命令)
comedemus食べる動 接 半 1複
tangeremus触れる動 接 半 1複
illudそれを代 中 対 単
forteby chance
moriamur死ぬ動 接 現 1複

問題点の検証。まず、園の中央の木がやはり単数形だ。
ウルガタもBHSも2章9節では木は2本生えているんだが。
なぜ1本になったんだろう?
これはBHSでも3章3節では単数形。2番めの単語
עץ
これ(↑)がthe tree(単数形)
עצים
これ(↑)が複数形。
google翻訳でtreesと打ってもこれが出る。
だからヘブライ語で樹木は単複同型という訳でもない。
元々樹木は1本だったのか?それって何ていうユグドラシル?

問題点はまだある。神が禁止した内容は具体的に何か?
日本語訳、英語訳、フランス語訳を見る限りでは
 「木の実を食べること」と「木の実に触れること」を
禁じていると解釈するのが自然だ。

ところがぎっちょんww 残念でしたwwwwww
そう解釈したあなたは間違っています。
実はここは 「木の実を食べること」と 「に触れること」を

禁じているのが正解。その根拠はillud
これはtangeremus=触れるの目的語。

そして中性。この文章の中で出てくる中性名詞は「樹木」
一方「果実」は男性名詞。
だから「触る」の目的語ではない。
よって触っていけないのは樹木だ。

あっぶねえwwwラテン語の勉強しておかなきゃ
うかうか楽園暮らしもできない件ww


BHSの場合だと最後から3番目の単語。
בו
これ(↑)が何を指すのか?が問題。
ヘブライ語で「樹木」は男性名詞
(「ヘブライ語入門」日本ヘブライ文化協会刊 p145)
「果実」も男性名詞(同書p160)
よって性別による判定は不可。

しかし使っている単語が違う。
「それに触れるな」と「それを食べるな」の
「それ」が2種類の別の単語だ。
これは禁止の対象物が違うという事なのか?
たまたま同じ意味の単語が2つあったから使っただけか?
ヘブライ語5級の私にとってはよく分からない問題だ。

一応グーグル翻訳してみると「食べるな」の方は
ממנו
これ(↑) "from him" と出てくる。男性名詞を指すようだ。
だが、樹木も果実も男性名詞。
常識的に樹木は食べないだろうから果実を指す。 
問題の「触るな」の方の「それ」は
בו
これ(↑) "it" とか "in him" と出てくる。
やはり男性名詞を指すのか? 結局樹木か果実か不明。

ヒエロニムスは何を根拠に
「果実を食べるな」と「樹木を触るな」という訳にしたのか?
もしかして誤訳?
しかしヘブライ語もラテン語もペラペラの私は
ヒエロニムスをタコ殴りにするのはまだ無理だ。

しかし正解は実は意外な所にあったりする。
ヤハウェが何と言ったかは2章17節に書いてある。
「善悪を知る樹の果実は食べてはいけない」
これが正解。

おいwエヴァ!お前勝手に人の命令書き換えるな。
「触るな」なんて誰も言ってない件。
神の命令はエヴァが生まれる前なので
エヴァはアダムから又聞きした可能性が高い。
たった2人しかいないのに、もう伝言ゲームで
内容が物故割れている件(苦笑
いや、ヤハウェは馬鹿だからアダムに言った事と
エヴァに言った事が違っている可能性も捨てがたいが(笑

こんな馬鹿どもの伝言ゲームを
「神の霊感ガー」「神の言葉は神聖不可侵ガー」
とかホラ吹きまくってるどこぞのカルト宗教は
実に胸熱な事でござった。

お前らの大好きなカミサマのミコトバなんぞ
エデンの園時代に既に捻じ曲がって
今更不可侵もクソもねえんだよ、バーカ。

最後はお約束のひと言をオナシャス。
「黒幕はキリスト教徒!」
みかん、いや、未完。

2016年7月23日土曜日

knznymmmyのラテン語ペラペラプロジェクト9

では実践編第5弾。今日も旧約聖書から。創世記3-8

et cum audissent vocem domini dei
deambulantis in paradiso ad auram post meridiem,
abscondit se adam et uxor ejus a facie domini dei
in medio ligni paradisi.

では今回は「ガチKGB訳・直訳版」から紹介。

午後の楽園を、微風を伴って散歩する主なる神の声を聞いて
アダムと彼の妻は主なる神の顔を避けて
園の中央の木の陰に隠れた。

これを意訳すればこうなる
午後の楽園をヤハウェは歩んでいた。
いつものように風を吹かせながら。
ヤハウェの声を聞いたアダムと嫁は
園の中央の木の陰に隠れた。
ヤハウェに会うのが怖かったのだ。

口語訳 
彼らは日の涼しい風の吹くころ、
園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。
そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、
園の木の間に身を隠した。


色々と違っている。私が問題視するのは
アダムが聞いたものは何だったのか?

風はなぜ吹いたのか? 
アダムが隠れた場所 この3点。

他の訳も読み比べながら、なぜガチKGB訳になるのか検証する。
とりあえずは文法的な解釈。「係」というのは「過去完了」の略。
おとといぐらいに思いついた。

「カコカンリョウ」って早口で言ったら「カカリ」っぽいからw
cum〜した時
audissent聞いた接 能 係 3
注:これウチのテキストが
間違っている
vocem声を名 女 対 単
domini主の名 男 属 単
dei神の名 男 属 単
deambulantis散歩している現在分詞 男 属 単
in〜の中を
paradiso楽園名 男 奪 単
ad?(後で考察)
auram微風名 女 対 単
post〜の後で
meridiem正午名 男 対
abscondit隠した完 3単
se自身を再帰代名詞
uxor名 女 主
ejus彼の代 男 属 単
a〜から
facie名 女 奪 単
in〜の中に
medio中央名 中 奪 単
ligni名 中 属 単
paradisi楽園の名 男 属 単

新共同訳
その日、風の吹く頃、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。
アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、

ABS
and they heard the sound of the lord god

walking in the garden in the cool of the day,
and the man and his wife hid themselves
from the presence of the lord god

among the trees of the garden.

KJV
and they heard the voice of the lord god

walking in the garden in the cool of the day:
and adam and his wife hid themselves
from the presence of the lord god

amongst the trees of the garden.

la bible de Jérusalem
ils entendirent le pas de yahvé dieu

qui se promenait dans le jardin à la brise du jour,
et l'homme et sa femme se cachèrent
devant yahvé dieu parmi les arbres du jardin.
 

みんな大好きBHS
וישמעו את קול יהוה אלהים מתהלך בגן לרוח היום
 ויתחבא האדם ואשתו מפני יהוה אלהים בתוך עץ הגן

まずアダムが聞いたものは何だったか?
ウルガタ、KJV、BHS、ガチKGBが声
口語訳、新共同訳、フランス語は足音
ABS はどっちか不明


私の家には
a hebrew and english lexicon of the old testament
というマニア本がある。これのp876に
קול
が出てくる。意味は"sound, voice" 声か音か不明。
私がよく使うオンラインの対訳版BHSではvoiceと訳してある。

私は神は足音をたてずに歩くと思う。
根拠のひとつはマルセイユタロット。

11番の、らふぉるす以降は霊的な存在だ。
だから空中浮遊をしている。
典型的なのは12番の、るぺんでゅ
木に縛られているようで実は結び目が無い。だから空中浮遊。


主の祈りでも「天にまします我らの父よ」と祈る。 
カミサマがいるのは天だ。上だ。
サタンがヤハウェと痴話喧嘩した時も
「地に落とされた」(参考:イザヤ14章 黙示録12章)
キリストが洗礼を受けた時カミサマの聖霊はどこから来た?
使徒行伝2章でカミサマの霊が降りてきた時風はどこから吹いた?
キリストが死んで蘇った後、
ヤハウェの元に帰ると言ってどっちに消えた?
全部上だ。おk?
そういや日本でもオバケには足が無い。だから足音はしない。

では声だとしたら神は何を喋っていたのか?
何かの動物と挨拶でもしていたのか?
しかし蛇は最も狡猾(創世記3-1)だと聖書に書いてある。

BHSの単語では
ערום
これ(↑) さっきの辞書に出てこない。
多分活用形を原形に戻さないといけないんだと思う。
ヘブライ語5級なもんでまだ活用を全然覚えられていない。
google翻訳したら nakedと出てくる件(笑 à poil!
これは今後の課題だ。
ウルガタではcallidior これは英語のclever

蛇は賢い。だから喋れた。というか蛇=悪魔だ。

悪魔=イルミ=右目=知性。
だから蛇が喋れるのは特例で他の動物は喋れないと思われる。
では、アダム、エヴァ、神、悪魔。
こいつら以外で喋れそうなキャラは・・・いない。

普通ひとり言なんかそうそう言わないはずだ。

知的障害児みたいに歩きながら奇声を発するとか
創価学会みたいにお題目唱えるのでなければ。
だからカミサマの声が聞こえたのは「誰かとの会話」のはず。
喋れるキャラは神、悪魔、アダム、エヴァ。
消去法で残るのは悪魔しかいないw

神と悪魔が話をする? 一体何を?
まして「やらかしちゃった」直後のこの状況下で
考えられる可能性はひとつしか無い。


楽園追放は自作自演、神と悪魔が仕掛けた罠だった疑惑。

悪:おーい、ヤハウェ、うまくいったぞ
  あいつら本当にリンゴ食いやがったww
ヤ:まじかwww グッジョブ!

  よーし、パパ、激おこぷんぷん丸だぞおwww
悪:こっちだ、こっち、あいつら隠れてやがるから
  ゴルァして楽園追放すれば、作戦大成功wwww

こんな会話が聞こえれば誰でもビビる。いや、それ以前に

ヤハウェが被造物の中に入り込んでいるのはなぜか?
ちょっと質問しただけでも神の御心は人間には理解できないと
あれだけ連呼していたではないか。
カミサマは超絶・隔絶的であり、ミラクルな高次元であり
所詮、土から作られた人間ふぜいとは根本が違うと
顔真っ赤にして叫び狂っていたではないか。
それだけ超高度なカミサマは一体何が悲しくて
被造物の中に入りこんでいるのか???
おい、土くれふぜいは相手にしないんじゃなかったのか?

ギリシア語には「愛」と訳できる単語が4つある。
アガペー、フィリア、エロス、ストルゲー。
フィリアは友情。エロスは男女の恋愛、ストルゲーは親子の愛。
聖書に出てくる「(神の)愛」とはギリシア語のアガペーだ。
そしてこのアガペーが意味するのは
「愛には値しないものを愛する愛」
(聖書ギリシア語四週間 野口誠著 いのちのことば社 p22)
 
どれだけ人間をカス扱いしてんだか?
そんなに人間を相手にするのが嫌なら、
むしろあっち行けシッシッって話なんだが? 
いや、そもそもヤハウェが天地創造をした目的は?

fate go的解釈をすれば

「ゲームに不具合が出たから神自らが参戦して中から修正中」
なのか?
それにしても、まだこの場面はエデンの園だ。ゲーム開始直後だ。
そこでもう不具合が出て中から直すしかなくなっていたのか?
それは要するに最初から壊れていましたと言うのではないか?
ヤハウェが参戦している=ヤハウェ自身も不具合を認めている。
クソゲ−乙。
クソゲーをちゃぶ台返しする口実にりんご事件を企画したのか?
元々自分が悪いだけなのに「お前のせいだ−!」とファビョ。
実にキリスト教的だ。
何も知らずにブラック企業に応募しちゃった
ダメリーマン君がアダム君か。
そしてまんまと引っかかったダメ嫁エヴァ。
はじめから破綻したものを押し付けて、
オマエが壊したんだー。オマエが悪いんだー。損害賠償だー。
というヤクザ論理。

ヤハウェはりんご事件以前から参戦・内部修正をしている。
だから破綻も破滅もりんご事件のせいではない。
物故割れていたのは元からだ。
ヤハウェはりんご事件をセブンセンシズでピキーンと察知して
急遽参戦したわけではない。
逆だ。参戦が先だ。元からヤハウェはゲーム参戦していた。

その根拠はアダムとエヴァのリアクション。
声or足音を聞いて、隠れている。
これは聞いただけで「あ、ヤハウェだ!」と気付くからに違いない。
聞いたこともない声、聞いたこともない音だったのなら
「何だろう?」と様子を見るのではないか?

それこそ、以前紹介したpuellaがアザーンを聞いた動画みたいに。
また、聞いただけで「あ、ヤハウェだ」と分かるという事は
やはり「足音」ではなく「声」と訳するのが正解だと思われる。

そして問題の微風。BHSにもルアハが出てくるから
微風というより、ただの風かもしれない。

そしてこの風の前にadという前置詞がついている。
私のテキストでは「〜において」と訳してあるが意味不明。
「風において散歩する」?
しかも同じテキストの和訳では
「午後になってそよ風が吹く頃、園の中を歩く主(以下略)」
と書いてある。
「〜において」とは「〜の頃」という時間的な意味なのか?
ウチの辞書にはそんな意味は出てこない。
ウチの辞書のadの意味の中にwith the company ofがある。
以前から私は神=風と主張している。
まして嵐の神が登場すれば風が吹くのは当然だ。
ヤハウェが現れた時はこう(↑)なるのが毎度の事だと思われる。 
だから使徒行伝ぐらい読んでおけとあれほど(2章参照) 

「風の吹く頃」と訳している聖書は全部誤訳。
まして新共同訳みたいに勝手に「その日」と決めつけるのは論外。
BHSだと
לרוח
このひと言をどう解釈するかだ。これは今後の課題。

声と風の両方が訳できている聖書はウルガタのみ。
他は全部誤訳。
薔薇十字乙!
最後はアダムの隠れた場所。ウルガタによると
in medio ligni paradisi
中央の木に隠れるのはいいとして、隠れた木が単数形だ。
一方創世記2章9節を見ると「命の木」と「善悪を知る木」の
2本が「中央の木」として出てくる。
まあ、1本か2本かというのは視点の問題なだけかもしれない。
しかし日本語で「命の木」と訳されているこの中央の木。
これはABSとKJVではtree of lifeと訳されている。
BHSだとコレ(↓)
עץ החיים
ええ、みんな大好きなアレですよ。生命の樹ですともw
このヘブライ語をコピペして画像検索してみた。
案の定、生命の樹が出る。
え・・・?中央に?神聖な木があって?
しかも3本にわかれてるようでもあり?
だけど1本の樹木?それ何ていうユグドラシル?

:生命の樹が、今のセフィロトがどーたらの形に
なったのは中世。盲人イサク(1165?〜1235)以降の事。
ちなみに彼が生まれたのはおフランス。
カバラが今の形になる上で彼の影響は特に大きかったらしい。
例えばここ(リンク)など参照。
新プラトン主義やグノーシス云々と物騒な話題の出るリンクだw
ヤコブの梯子とか、エデンの園の生命の樹とか
旧約に色々あるからと言って、今日我々の考えるカバラが
旧約時代に既に存在したと考えるのは早漏。

一応ウルガタでも2章9節には生命の樹と善悪を知る樹の
2本が出てくる。
ちなみに2章9節にはその2本とも生やしたのは
カミサマ本人と書いてあるw
おいwww食べてダメなら、
そもそもお前が生やさなければ済んだ話じゃないか!

昔、私がまだ教会通いをしていた頃、ある牧師が
(注:私は複数の教会に通ったからこういう表現になる)
「カミサマが善悪を知る木から実を取って食べるなと
言ったのはなぜか?」と私に質問してきた。
私は「アダムとエヴァに我慢する事を教えたかったから?」
と返事した。
牧師は「そうですね」云々と言っていた。

今にして思えばこの牧師ひどすぎる。
まずキリスト教視点で見てもこの牧師の回答は間違い。
正しいキリスト教的な回答とは以下のようなものを言う。

「神の御心、御業は人間ごときに知りつくす事はできない。
そういうのは思い上がった心であり、
自らを神に等しいものと考えたサタンと全く同じ心理だ。」

調べてみたらこの教会、まだ潰れずに続いている。
よし!サタン牧師の教会を焼き討ちにしろ!

今の私なら、この質問にどう答えるだろうか?

まず善悪を知る木とは、ウルガタ2章9節の表現では
lignumque scientiae boni et mali  つまり、
scientiae = science =科学=悪魔=イルミ=反キリスト。
知性否定のキリスト教だからこそスキエンツィアを禁止した。
だから盲目的に、盲従する事を神は望んだ。
それがつまり「食べるな」という命令。
とは言え、聖書には「死んではいけないから」
という理由が添えてある。
人間は最初から死ぬように作ってあるという事だ。
「死んではいけないから」が禁止の理由になるならば
アダムも死ぬのは怖かったはずだ。
自称唯一絶対の神と楽園暮らしをしているのに
死ぬのが怖いというのも不思議な話だ。
もしアダムが罪を犯さずに、寿命で楽園内で死んでいたら
一体何が起きたのか?
「あの世」とやらにでも行くのか?
そこでヤハウェではないカミサマから最後の審判でも受けるのか?
死が不可避でしかも恐怖の対象だとするなら
楽園もパラダイスも必ず破綻するのが仕様だ。
そもそも食べたらダメな善悪を知る木を生やした犯人は
ヤハウェ本人だ。
食べてダメなら、そもそも生やさなければ済む話だ。
要するに破綻も破滅も神自身が仕込んだ自作自演にすぎない。
ましてそんなもので我慢する心を教えるだの
尊い自由意志を与えてどうとか一切関係ない。
まして奴隷でしかないお前から自由意志を説教される
筋合いなど無い。
本当に楽園だったとするなら一体何を我慢する?
我慢により何かしらの矯正が必要であるのなら
天地創造が不完全であったという事だ。不完全なものは破綻する。
ましてや火種を神自らが仕込んでいるのなら確実に破綻する。
だから、先程から私は破滅は自作自演と言っている。
こんなもので原罪をデッチ上げておきながら
「救ってやる」と上から目線の
自称救い主を送り込んでくるとか、
こいつらNHKの集金屋よりも悪質だ。
そもそも罪の赦しに血が必要な理由は何か?
ヤハウェに赦す気持ちさえ本当にあるのなら
ヤハウェの胸先三寸で済む話ではないのか。
もし、ヤハウェに赦す気が本当にあるのなら
全人類が神を信じて神の子となったらどうなるのか?
ハルマゲドンも最後の審判もウソ予言、聖書はウソの本
という事になるのではないか。
聖書は真実の書だというのなら、聖書に繰り返し書いてある通り
救われない運命の人間がいるという事だ。
そしてこの、救われない運命の人間を創りだしたのも
他ならぬヤハウェだ。だから私は自作自演と言っている。
こんな状態で「自由意志を与えたから云々」とか
寝言は寝てから言え
こんなヤハウェに人を裁く資格などないし
お前のようなカス牧師に人を導く資格など無い。
その証拠にヤハウェはノアの大洪水で悪を滅ぼすと言いながら
見事に大失敗しているではないか。
お前は見事にサタンと同じ思考をしているではないか。

・・・とでも答えるだろうか?
サタン牧師の教会を焼き討ちにせよ!

最後はお約束のひとことをオナシャス。
「黒幕はキリスト教徒!」
みかん、いや、未完。

2016年7月21日木曜日

knznymmmyのラテン語ペラペラプロジェクト8

では実践編第4弾。今回は旧約聖書から。

post quos auferet pharao caput tuum,
ac suspendet te in cruce,
et lacerabunt volucres carnes tuas.

創世記40章19節


口語訳

今から三日のうちにパロはあなたの頭を上げ離して、
あなたを木に掛けるでしょう。
そして鳥があなたの肉を食い取るでしょう。

新共同訳
三日たてば、ファラオがあなたの頭を上げて切り離し、
あなたを木にかけます。そして、鳥があなたの肉を啄みます。


ABS
within three days pharaoh will lift up your head
- from you! - and hang you on a tree;
and the birds will eat the flesh from you.

KJV
yet within three days shall pharaoh
lift up thy head from off thee,
and shall hang thee on a tree;
and the birds shall eat thy flesh from off thee.

la bible de jérusalem
encore trois jours et pharaon t'élèvera la tête;
il te pendra au gibet et les oiseaux mangeront
la chair de dessus de toi.

今日は旧約なので原典はBHS
בעוד שלשת ימים ישא פרעה את ראשכ מעליך
ותלה אותך אל עץ ואכל העוף את בשרך מעליך


まずは文法的な解釈。
post〜の後で
quos
関 男 対 複
(18節の"3日"を修飾)
auferetremove, take away動 未 3単
pharaoファラオは名 主
caput頭を名 中 対 単
tuumあなたの形 中 対 単
acand
suspendetつるすでしょう動 未 3単
teあなたを代 対
in〜に
cruce十字架名 女 奪 単
lacerabunt引き裂くでしょう動 未 3単
volucres鳥が名 女 主 複
carnes肉を名 女 対 複
tuasあなたの形 女 対 複

そして問題点の検証。
注目点は"cruce" これはcrux=十字架の奪格単数。
キリスト教徒が大好きなあの十字架だ。
例えばcruceで画像検索しても十字架が大量にヒットする。
しかもキリストの処刑のシーンにもこの単語は出てくる。
例えばマルコ伝15章30節。私の持っているウルガタでは
salvum fac temet ipsum descendens de cruce

口語訳だと「十字架からおりてきて自分を救え」
よってcruceが十字架なのは確定

それなのに創世記40-19で
「十字架」という訳を採用しているのは
ウルガタとエルサレム聖書のみ。他は全て「樹」だ。

エルサレム聖書ではgibetと書いてある。
本来、フランス語で十字架は一般的にla croix
gibetとは何か確認してみた。
私の持っている辞書では「絞首台 磔柱」と書いてある。
そして例として「gibet du christ キリストの十字架」
とも書いてある。私が持っている辞書は
旺文社のプチロワイヤル仏和辞典第4版。
一応googleの画像検索してみた。
画像検索の結果から判断すると絞首刑の台を第一に意味するようだ。
あれ?じゃあ gibet du christ はキリストの十字架じゃなくて
キリストの絞首刑では?
le pendu乙!タロット乙! オーディン乙!

一般的な認識では樹木と十字架は別物のはずだ。
原典のBHSはどうだろうと見てみると「木」だ。
עץ
これ(↑)がBHSの中の「樹・木」だ。
本当にコレが樹木なのか不安なら
コピペしてgoogle画像検索すればいい。
ものすごい数の樹木が出てくる。
しかも創世記3章でも同じ単語は出てくる。
アダムとエヴァが「園の中央の木」の実を食べた場面だ。
ウソだと思うのならここでも見てくればいい。
英語の対訳付きのBHSだ。
だからBHSが「木」と書いているのは確定。

ではウルガタの「十字架」は誤訳なのか?というと
私の解釈ではこの箇所に関しては全部の訳が正解。
誤訳は無い。

しかし、樹木と十字架は別物では?
というのは現代人の浅はかな考え。
樹木と十字架は別物ではない。同じものだ。

過去記事でも既に書いた事だが
キリスト教美術では6世紀まで十字架が出てこない。 
むしろ、初期の教父は十字架は異教のシンボルだと言って
disりまくった。
ウルガタが書かれたのは 新約は383年。旧約は405年。
まだ十字架が神聖視される以前だ。
そもそも十字架があのプラスの形で
しかも釘で打ち付けるというのは物理的にあり得ない。
人間の体重を支えきれずに手が裂けてしまう。
だからミトラ教みたいなTの字、
いやむしろ、ただの一本柱の方が可能性は高い。
しかし一本柱にしても人間ひとりの全体重を支える訳だ。
地面を掘り返して柱を立てるのは面倒。
樹木があれば樹木を使う方が手っ取り早い。

そしてこの創世記40章19節のせいで
一本柱どころか樹木では?という可能性が更に上昇する。
元々cruxはただの樹木という意味だった(ウルガタ時代)が
後付けで「十字架」「例のプラスマーク」に改竄された疑惑だ。
しかもそのプラスマークの元ネタが異教。

しかもその一本柱or樹木でどう処刑する?という問題が残る。
一本柱だとしても人間の全体重を支えられるほどの釘があるのか?
という問題が残る。
やはり絞首刑の方が簡単・確実ではないのか?
やはり北欧神話のオーディンにつながってきた。
オーディンはユグドラシルの樹で首を吊った。
これがキリスト教の十字架と妙な一致をすると過去記事で書いた。
そして今回のgibetは「十字架」であると同時に
「絞首刑の台」でもある。
十字架はそもそも絞首刑だったのでは?
形も全然十字じゃなくて、ただの樹だったのでは?という疑惑。
絞首刑、首吊り、オーディン、十字架、キリスト。
全部つながってしまう可能性が更に上がってきた。
いやあフランス語勉強しておいてよかった。
意外な所にオーディンの突破口があるもんだ。
くさい。猛烈にくさい。これはマルセイユタロット。
これはライダーウェイトタロット
あれ・・・!! Tの字じゃないか!とことん臭い。

この創世記40章19節の臭さまだ他にもある。
ひとつには「木にかけて鳥が肉を引き裂く」という描写。
・・・これはエヴァだ! エヴァンゲリオン旧劇場版だ!
アスカが量産型エヴァと戦う場面。


ご丁寧に襲撃直前には羽を広げて鳥さんアピールをしてくださる
親切な量産型のご一行様w
ウルガタでも「鳥」はvolucresだから複数形だ。
単数形はvolcuris

ロンギヌスの槍に刺されるのは
樹木に吊るされるのとは違うのでは?というのはどうでもいい。

実際にこの後シンジはロンギヌスの槍とともに生命の樹と化した。
ついでに量産型とのバトル開始時点で弐号機の内部電源が
残り3分半というのも臭い。
33はキリストの死んだ年。つまりヤツらの大好物。
(注:本当は占星術的な意味がある)
3分半と言えば3分30秒で33につながる。
内部電源33秒では短すぎるし33分では長すぎる。
3分3秒も考えられるがあまり細かい秒だと
台詞を言っている間に2分台に入ってしまう。
ならば、もう3分半しかない。
ついでにトドメのシーンは串刺し。つまりロンギヌスの槍。

この量産型とのバトルシーンは師匠ブログにも解説がある。
リンク)師匠はゾロアスター教の鳥葬視点で解説している。 
オウム真理教の後に出てきた一番オウムっぽい物と言われた、
福音書アニメ「エヴァンゲリオン」の作品では、
鳥に模した敵(エヴァシリーズ)に食べられる姿、
空を旋回するイヌワシみたいな構図が出てきます。
あれは、このゾロアスター教の鳥葬がモチーフになっています。


師匠ブログでは鳥葬の説明だけにとどまらず
ミトラ教とは何か?ゾロアスター教とは何か?
エヴァで敵が使徒と呼ばれるのはなぜか?
アーリア人とは何か?そのあたり含めザクザク斬りこんでいく。
陰謀論を語るのなら師匠ブログは一度は見ておかないと恥をかく。
ねこた先生をも驚かせた天才・もぐら師匠のブログはこちらです!

アスカが量産型に襲撃される直前にはこういう描写があった。
ロンギヌスの槍で刺された直後。背景にシレッとピラミッド登場w
いや、これは笑い事では済まない。
この後、初号機が登場するが、ピラミッドが爆発して
十字架状の火柱を吹き上げた中から登場する。



しかも謎の嵐の渦の中心にいるという描写。
当ブログの読者ならピンと来たはず。
ヤハウェもバアルも嵐の神だ。オーディンもおるでよ

更にこのピラミッド描写の問題はまだある。
ピラミッドの中から十字架が出てきた。
ピラミッドの中からキリストもヤハウェも出てきた。
そういう描写に見えなくもない。

これは笑い話では済まない。
聖書はプトレマイオス朝のエジプトで書かれたという疑惑がある。
プトレマイオス朝のエジプトは紀元前306年〜紀元前30年。

一般には、ちょうど同じ紀元前3世紀から紀元前1世紀頃に
ヘレニストユダヤの増加に伴い、ヘブライ語の旧約聖書が
ギリシア語に翻訳されたと言われる。
これがセプチュアギンタ=七十人訳。略称LXX

ヘレニストユダヤとはユダヤ人だがヘブライ語ではなく
ギリシア語を話す人々。
また、紀元前の話なのだからキリスト以前の話だ。
だから当時は新約聖書は無い。

私(や、ねこた先生その他)が考えているのは
「既に存在したヘブライ語の旧約聖書」が
実は存在しなかったのでは?という疑惑だ。

いや、完全にゼロとまでは言わない。
過去記事でも、私自身、旧約聖書は古代クソラエルの
南北朝時代に書き始められたと推測している。
勿論、聖書のパクリ元の書物となればそれよりも更に以前だ。
「書き始めた」だけで、全然未完成だった旧約聖書が
プトレマイオス朝で大幅に加筆、書き換えされた。
それが修正というレベルでは済まない程、大規模だったので
「旧約聖書はプトレマイオス朝で書かれた」と言えるのでは?
という問題提起だ。
勿論、大規模とは具体的にどの程度大規模なのか?
具体的にどことどこがプトレマイオス朝で加筆された部分か?
それは今後の課題でもある。しかし既に判明している内容もある。

ひとつは「パロ」 新共同訳での「ファラオ」
これは先生が鋭い事を書いていた。多少省略しながらコピペ。
リンク1 リンク2 リンク3 リンク4

ねこたさんは、旧約聖書は紀元前3世紀頃の
プトレマイオス朝時代に成立したと考えてるの。
大人の世界の聖書学では紀元前6世紀頃に口伝のものを
文字にしたとか言われてるけどありゃ嘘ですな。
旧約聖書の出エジプト記を見ると、ファラオのことを
「パロ」って書いてあるでそ?
(中略)
プトレマイオス朝以前の成立はありえないかと。
ファラオ(大きな家)ってギリシャ語だからね。
エジプト語では「ベル・アア」って言うの。
もしヘブライ語の最古の写本にベル・アアと書いてなければ、
プトレマイオス朝の可能性が出てくるよ。
ねこたさんはね、大人の世界の聖書学では、
ギリシャ語の70人訳のセプトゥアギンタが紀元前70年に
成立したらしいけど、
ヘブライ語聖書の編纂とギリシャ語聖書の成立は
あまり間をあかないで成立したと思う。
プトレマイオス朝が臭いな。

では問題のBHSを見てみる。
パロ、若しくはファラオとしか読めない単語が出てくる。
参考→リンク
出エジプト1章11節のパロ。どう頑張ってもベルアアではない。

ベルアア=エジプト語=大きな屋敷。
これが本来のエジプトでの王様の呼称。
(バアルゼブブも高き屋敷の主というのをお忘れなく
日本語でも「殿様」の「殿」は「御殿」の「殿」だ。
「お宅」は「あなた、お前」を意味するが「宅=家」だ。
(キモヲタの、そっちのオタクはここ20、30年の話だ)
それと少し似ている。

ベルアアではなくてパロ。
或いはパロのギリシア語読みであるファラオ。
これが当然のように出てくるのは怪しいという先生の指摘だ。
プトレマイオス朝はヘレニズム文化=ギリシア文化系だった。
聖書がプトレマイオス朝で書かれたのならギリシア的な
表現や単語が出てきても、むしろ当然という指摘だ。

「パロ」が出てくるのは出エジプトだけではない。
日本聖書協会HPで聖書の全文検索ができる。
「パロ」は旧約限定でも100回以上出てくる。
創世記、出エジプト記、申命記、サムエル記上、
列王紀上・下、歴代志上・下、エズラ記、ネヘミヤ記
詩篇、雅歌、イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書にヒットあり。

これだけヒットすれば、かなりの規模の改竄。加筆。
勿論、「パロ」だけが怪しい訳ではない。
怪しい箇所は他にもある。
例えばラクダの飼育が始まったのはいつだ?という問題。
参考→読めないニックネーム
地中海東岸地域でラクダが家畜化されたのは
紀元前10世紀では?と学術的に推測される。
参考→リンク(ナショナルジオグラフィック日本語版)
しかし聖書の中でラクダの初出は創世記12章。
アブラハムの時代だ。
アブラハムは従来の通説では紀元前20世紀頃の人物。
あやしい。実にあやしい。千年以上水増しされている疑惑。

しかもセプチュアギンタの書かれた時代は
3度のポエニ戦争が起きた時代と重なる。
(紀元前264-241、紀元前219-201、紀元前149-146)
そしてポエニ戦争=フェニキア=ユダヤの正体。

あやしい。ユダヤという捏造民族が出て来る丁度その頃に
そのユダヤ人の経典が絶賛執筆中だった疑惑。
しかもその計画立案、指揮命令者のローマを陰で操るギリシア?
(ローマは元々後進国でギリシアの植民地云々の話を思い出せ!)
聖書の中にもこれ本当はギリシア哲学視点で読まないと
意味不明じゃないのか?という箇所はある。
たとえばヨハネ伝1章。ロゴスはテオスとかあのへん。
先生は鍵を握るのはストア派、ネオプラトニズム、ドルイド
あたりでは?と推測中。
そのへんはまだまだ私自身素人。今後の課題。 
しかしネオプラトニズムと言えばプロティノスが創始者。
こいつは紀元3世紀のエジプトの人物。まーたエジプトか!
プラトンは紀元427〜347。プトレマイオス朝登場の少し前だ。
プラトンが爺さんになった頃アレクサンドロス大王が生まれている。
そしてこのアレ君の帝国が分裂してプトレマイオス朝ができた。

プトレマイオス朝はアウグストゥスによって潰された。

これだって証拠隠滅を兼ねていたのではないか?
情報漏洩を防ぐために遠い異国に発注して、
用事が済めば口封じと証拠隠滅かねて
「もう貴様に用はない」
アウグストゥスはローマ帝国初代皇帝でカエサルの息子。
厳密にはカエサルの姪の息子。カエサルは厳密には養父。

直接の親子関係は無い。

アウグストゥスがプトレマイオス朝を潰す以前から
ローマ帝国とプトレマイオス朝の間には色々と交流があった。
例えばエジプト起源のイシス教がローマで流行。
或いは絶世の美女として有名なクレオパトラは
プトレマイオス朝のファラオでしかもカエサルの愛人。

イシス教はここ(あほー知恵袋)がなかなか鋭い。
簡単にダイジェストしてみる。

イシス教は紀元前86年にローマへ流入。ローマ帝国で大流行。
イシスはローマ在来の神々と同一視された。
例えば、ミネルヴァ女神やアフロディーテ女神。

(注:ミネルヴァ=や

イシス教が流行した理由はいくつかある。
まず、エジプトは神秘的な国と見られていた事。
そして「密儀」「秘密の儀式」がウケた。

(注:ミトラ教も非公開主義だった件)

また、従来のローマの宗教と違い
イシスの儀式に女性も参加できた。だから女にウケた。

(注:キリスト教も昔は女の宗教と叩かれた)

そしてイシス教は個人主義な側面があった。
ローマの従来の宗教は家長に依存していた。
パパンが司祭でパパンが偉かった。

(注:聖書にこういう一節がある。
「私よりも父または母を愛する者は、私にふさわしくない」
マタイ伝10-37)
勿論、キリスト教の聖母マリアの元ネタのひとつはイシス教。 


ふーむ。実に臭い。エジプト要素がウケるのを見た支配者層は
二匹目のドジョウを狙ってプトレマイオス朝エジプトに
下請けでキリスト教を発注した(?)
いや、ミトラ教の記事で書いたように
そもそもイシス教もミトラ教もキリスト教も
全部世界宗教を作るための試行錯誤テストケースだった(?)
すべては「計画通り(ニヤリ」なのか?
聖書を書かせる事含めて計画通りなのか?
そしてポエニ戦争でパシリを大量ゲッツしたから
パシリの支配地域のパレスチナがピックアップされた?
「こいつらを活用するにはこういう脚本・キャラ設定がいいな」? 
一体どこからどこまでが事前計画通りなんだろう?

だから私は笑い事では済まないと書いた。
ピラミッドを突き破って
エヴァもヤハウェもキリストも十字架も飛び出してくるのは
笑い事ではないと書いた。 

エヴァ=エヴァンゲリオン初号機
(ターミナルドグマにはアダムもおるでよ
ヤハウェ=嵐の神
キリスト=シンジ=神児=神の子=キリスト
    (旧劇場版では聖痕も出ていた)
十字架=十字架型の火柱

全部ピラミッド=エジプトの象徴の中から飛び出してきている。
ソースはここですよー。メイドインエジプトですよー。
という事?

とはいえ、エジプトが本丸とは言えない。
喩えるならアポー製品みたいなもの。
まっけんとっしゅや、あいほんが中国の工場で作られたとしても
メイドインチャイナと書いてあったとしても
アポーはダメリカの会社だ。ダメリカが指揮命令・計画立案者。
中国はあくまでも実働部隊。

それと同様、キリスト教を裏返して見たら
メイドインエジプトと書いてあったとしても
エジプトが本丸とは限らない。本丸は?ラスボスは?
指揮命令は誰が出している?計画立案はいつ誰が行った?
当時はどこにいたんだろう?今現在はどこにいるんだろう?

このへんはまだまだほじくり甲斐のあるネタだ。
しかし記事が既に長くなりすぎたので今回はここまで。

最後はお約束のひと言をオナシャス。
「黒幕はキリスト教徒!」
みかん、いや、未完。

2016年7月19日火曜日

knznymmmyのラテン語ペラペラプロジェクト7

さあ実践編第3弾。今日はルカ伝8章52節
まずはbiblia sacra vulgataから。

flebant autem omnes. et plangebant illam.
at ille dixit: nolite flere:
non est mortua, sed dormit


(口語訳)
人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。
イエスは言われた、「泣くな、

娘は死んだのではない。眠っているだけである」。

(新共同訳)
人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。
そこで、イエスは言われた。「泣くな。

死んだのではない。眠っているのだ。」

(ABS)
and all were weeping and bewailing her;
but he said, "do not weep;

for she is not dead but sleeping."

(KJV)
and all wept, and bewailed her:
but he said, weep not; she is not dead, but sleepeth.

(la bible de jérusalem)
tous pleuraient et se frappaient la poitrine
à cause d'elle. mais il dit:
«ne pleurez pas, elle n'est pas morte, mais elle dort.»

(nestle text)
ἔκλαιον δὲ πάντες καὶ ἐκόπτοντο αὐτήν.
ὁ δὲ εἶπεν μὴ κλαίετε; οὐκ ἀπέθανεν,
ἀλλὰ καθεύδει.


つまりこういうことだ

ったく、おちおち寝てもいらんねえぜ

では文法的な解釈。
単語意味原型文法的説明
flebant泣いていたfleo動 半 3複
autemすると
omnes全員がomnis形 主 複 男女
plangebant嘆いていたplango動 半 3複
illamあの女のために
代 女 対 単
atしかし
illeあの男は
代 男 主 単
dixit言ったdico動 完 3単
noliteな(禁止命令)nolite動 命 2複
flere泣くこと
non〜ない(否定)
estsum=be動詞
動 3単
mortua死んでいるmortuus形 女 主 単
sedしかし
dormit眠っているdormio動 3単

では検証。
今回は「原型」というものを少し書いてみた。
ラテン語の動詞や形容詞に原型は無い。
例えば辞書の見出しに出てくるのは
「直説法 能動態 現在 1人称単数」だ。
そういう特定の時制や特定の人称に属さない型はない。
英語のbe動詞の"be"のような孤立した形は無い。
だから原型を書く事にあまり意味が感じられない。
まあ、ラテン語は私自身まだ試行錯誤中なので
こういう書き方を試してみただけ。

2番めの単語、autemの位置に注目。
普通英語ではbutやandは文頭。
しかしラテン語では接続詞が2番めに来る事がよくある。
何か思い出さないか?
私はやすきよ漫才を思い出した。
「怒るでしかし!」
ラテン語は、やすきよ漫才やでしかし! 
そう考えると文法の勉強も楽しくなるんやでしかし!

また、omnesに注目。これは本来形容詞。
しかしここでは名詞扱いになっている。
英語でも"the"をつければ形容詞が「〜な人」という意味になる。
それと似ている。

というか、ここまでの記事を注意深く読んで来た人なら
気づいているかもしれない。

ラテン語には冠詞が無い。
不定冠詞も定冠詞も部分冠詞も無い。
まあ、ドイツ語みたいに冠詞込みで活用されても
ハタ迷惑なだけなので、無ければ無いでいいと思う。
冠詞が無いせいで「theプラス形容詞は名詞」というルールが
「形容詞は名詞」という事になる。

またillamやilleに注目。これは指示代名詞。
日本語で言えば「あれ」に相当する。
但し指示代名詞も活用で男性形や女性形になる。格もある。
そこで3人称代名詞の代わりに使われる。
英語で言えばhe said...と言わずにthat one said...
みたいな表現。これがラテン語の通常営業。
実はラテン語には3人称の代名詞が無い。
1人称2人称代名詞はあるのに3人称が無い。
そのくせ、動詞には3人称があるという謎。
要は動詞の活用がギリシア語からの借り物だと思われる。
だから語尾もやたらとギリシア語的。
例えば現在形 1人称単数の語尾が「オー」な事。
be動詞に相当するのは
ラテン語はsum(すむ) ギリシア語はεἰμι(えいみー)
全然別物のように見えて実は活用させると似ている。
例えば3人称単数が
ラテン語でest ギリシア語でἐστιν(=estin)
2人称複数が
ラテン語でestis ギリシア語でἐστε(=este)

あるいは過去形が2つある事。
その2つとは半過去と現在完了な事。
名詞が男性名詞、女性名詞、中性名詞の3つに別れる事。
「私」はラテン語で「エゴー」ギリシア語でも「エゴー」
母親はラテン語で「マーテル」、ギリシア語で「メーテル」
父親はラテン語で「パテル」、ギリシア語で「パテラス」
数字の2はラテン語で「デュオ」ギリシア語も「デュオ」
数字の3はラテン語で「トレス」ギリシア語は「トリア」
しかもこの「トレス」を活用すると中性形が「トリア」
挙げていけばキリが無い。

このへんを根拠に私はラテン語はギリシア語の
劣化コピーだと主張する。

これは何も私一人が主張している内容ではない。
例えば「ラテン語とギリシア語」という本がある。
風間喜代三著 1998年三省堂刊
この本のp23に以下の記述がある。
この2つの言語(ギリシア語とラテン語)
文法の組織や語彙を比較してみると、
かなり類似しているところがある。
また文化的にあらゆる面でギリシアを範としたローマ人にとって
言葉の上でもどこかにつながりを持ちたいという
気持ちもあったのだろう
(中略)
ローマ時代にもラテン語はギリシア語の一方言である
という見解が口にされ
近代にいたってもこの2つの言語のとくに密接な関係を
仮定しようという説が一部に支持されてきた。
著者の風間は東大名誉教授で専攻は比較言語学。
自称言語学者のアイデルバーグとは発言の重みが違う。

以前も書いたはずだ。
紀元前のイタリア半島にはギリシアの植民地があった。
ローマの上層階級はギリシア=先進国に憧れていた。
だから上層階級はギリシア語を話していた。
ラテン語は庶民語=下等と考えられていた。
私のような貴族階級が、下層民の言語を勉強して
ブログ記事にするなど本来あり得ない事だ。
ラテン語クラスタのゴイムども!ひれ伏せ!
えごーえいみーほばしれうすとぅーこすむー
(訳→我は世界皇帝なり)

さて、今回のラテン語の例文は私の持っているウルガタと
私が読んでいる教科書で微妙に内容が異なる。
上に書いたラテン語は私のウルガタの内容。
私の教科書に書いてある内容だと
flebant autem omnes. et plangebant illam.
at ille dixit: nolite flere:
non est mortua
puella , sed dormit 

少女=puellaが追記されている。
本家本元ネストレテキストを見ても52節には「少女」は無い。
だから私のウルガタの方が正確。
但し意味的に何か変わっているとは思えない。 

puellaが出てきたので以前予告した内容を書く。
まどマギのサブタイトルの検証だ。
ラテン語ペラペラの私よりも先に
この問題を指摘している人は複数いる。例えばここ参照。
まどマギには謎のサブタイトルがあった。
曰く、puella magi madoka magica
これが文法的におかしい。puella magiとは一体何なのか?
日本語タイトルと併記されている事から考えて
「魔法少女」と言いたいという可能性はかなり高い。
しかしそれならpuella magaが正解と思われる。

先ほどのリンク先ではmagusが名詞だと仮定した場合と
形容詞だと仮定した場合の活用表が出ている。
私の家のラテン語辞書には形容詞しか出ていない。
だから形容詞の場合のみ紹介。
単男単女単中複男複女複中
magusmagamagummagimagaemaga
magimagaemagimagorummagorummagorum
magomagaemagomagismagismagis
magummagammagummagosmagasmaga
magomagamagomagismagismagis
magemagamagummagimagaemaga
magiは複数箇所に出てくる。しかし女性形には出てこない。
先程のリンク先では名詞の場合についても検証しているが
やはりmagiが出てくるのは男性形の場合のみ。
更に、辞書の見出し語に書くのは主格というのが常識。
主格が原型的な代表選手的な役割を務める。
こういうサブタイトルなど含めて主格の担当分野だ。
puellaが主格な事からもこれは確定。

ついでだ。puellaの活用表を載せておく。
単数複数
主格=呼格puellapuellae
属格puellaepuellarum
与格puellaepuellis
対格puellampuellas
奪格puellapuellis
puellaがpuellaという形なのは単数の主格、呼格、奪格。
格の役割分担から考えてやはりpuellaは主格に違いない。
puellaが奪格でしかもmagiの被修飾語だとすると
更に話がこじれる。
奪格ではいかなる性でも数でも
magiという形が存在しないからだ。
矛盾を抱えたままとはいえ、
magiという形が存在するのは主格。(と呼格)

puellaが女性名詞なのに男性形の形容詞に修飾される・・・
これって何ていう「男の娘?」 (゚A゚;)ゴクリ...
ほむらが聞いたら鼻血を出して喜びそうな話だ。

別の可能性としては
「puellaが被修飾語でmagiがその修飾語」ではない
という解釈もある。
magiは何か別のものを修飾しているという解釈だ。
ではmagiが修飾するのは?madokaか?
確かに外来語等で格変化をしない名詞もある。
だからmadokaはきっと主格だと決めつけてみる。
よし。すると「少女と、魔法使いのまどか君」・・・?
やっぱり暁美ほむらの鼻血は止まりそうにない。
ついでに最後の謎の単語=magica は何なんだろう?

という事でこのサブタイトルは
実に後味の悪い中途半端なラテン語だと判明した。
いや、そもそもラテン語なのか?
少なくとも日本語、英語、フランス語、ギリシア語、
ヘブライ語には見えない。

まどかは男の娘だった・・・。しかも複数疑惑。
それは平行世界のまどかなんだろうか。
ええなあ〜、ほんまええなあ〜
そういう同人誌、探せばどこかに無いんだろうか?
軽くぐぐってみたら魔法少年まどかマギカという
二次創作はあるようだ。

ふーむ。この中途半端感は何だろう?
アニメ製作者がバカなだけ?
もしかして言霊的、ステマ的に
「マギ」という単語を推したいのだろうか?
だからまどマギもタイトルに「マギカ」なんて
謎の単語が出てくる?
「魔法少女まどか」というタイトルでも意味は通じる。
なぜ「魔法少女まどかマギカ」なんだろう?
ステマ?洗脳?布教?
探せばマギという単語はちょいちょい出てくる。

「魔法先生ネギま」の主人公、ネギ・スプリングフィールドは
「マギステル・マギ」を目指していた。
(え?ネギ?・・・禰宜?)
「マギ」というタイトルのアニメもあった。
エヴァンゲリオンにはマギシステムが出てきた。

いや、エヴァもよく考えればおかしい。
マギは複数形なのだからメルキオール等単品で出てきた時は
マグス・メルキオールというのが正しい。
マギカスパー、マギメルキオール、マギバルタザール。
うーむ。少なくともマギシステムは6台構成なんだろうか。
そういえば「松代のマギ2号」というものが
ヤシマ作戦の時に出てきた。
(新劇場版の序でネルフ本部ごとの自爆攻撃を提案)
それから旧劇場版のairでもハッキング攻撃の時に
マギ2号は話題に出ている。
もしかして2号込みで話をするからマギって言うのか?

もっと分かりやすい例だとエヴァでは
「サードチルドレン」と言っていた。
childrenが複数形なのは誰でも分かるだろう。
シンジ1人でもチルドレンという謎。
さすがに庵野もチルドレンぐらいは気付いていたはずだ。
意図的に複数形にしたのだろうか?音的に気に入った?
サードチルドレン・・・サードチャイルド・・・。
面倒臭かっただけ?
ちょっとこのへんはまだ考え中。

最後はお約束のひと言をオナシャス。
「黒幕はキリスト教徒!」
みかん、いや、未完。